絵画という体裁の物質 周 豪

惨禍を各国にもたらした武漢発のコロナが今だに収束しない。中国籍を持つ人間として、世界に対し、申し訳ない気分である。

中国国内ではまだコロナの実態が不明だった昨年末から、北京の798芸術区のギャラリーでわたしの個展が催されていた。千平米を越す空間にゆったりと並ぶ油彩の展示はかつてない大個展だった。当初2ヶ月予定だった会期が、1月22日の春節休みを境に798芸術区全体が封鎖され、事実上の休廊。そのまま最後を迎えた。

そんな中、国境封鎖前の1月29日に横浜に戻った。突入した自粛生活は制作を一層密度のあるものにし、それによってもたらされた自己対峙は、多くの自省と再確認を可能にした僥倖も否めない。

結局、わたしが求めるのは絵画という体裁の物質感であり、あえて言うなら、「絵画でありながらの彫刻」なのだ。
モノとしての絵画、絵画という名のモノ、それが今のわたしを魅了してやまない。換言すれば、視覚から触覚への関心移行である。2年前のPliage-Collage はその始まりであったろう。

今回、コロナ以降の初発表が丸亀であることは大変嬉しく思う。そして香川県の皆様とまたお会いできることも楽しみである。

周 豪 ZHOU Hao

略歴・主要展覧会歴・収蔵先

略歴

1960年、中国・上海市に生まれる。6歳から高校までの約10年間を文化大革命の時代に過ごす。

1983年、私費留学のため来日。翌1984年、武蔵野美術大学造形学部油絵学科に入学。 3年次に新設された版画コースへ進み、同コースの第一期生としてリトグラフを学ぶ。 この時期から作品は次第に抽象的な表現へと変化していった。

同時期に柳宗悦の民藝思想に触れて感銘を受け、鈴木大拙の禅に関する著作などをきっかけに、 自国の古典文化を意識するようになる。 老荘思想の書物を繙く一方、日本および西洋の現代美術にも関心を寄せた。

1987年、小山敬三美術振興財団の奨学金を受け、 第1期アジア美術留学生として山梨県の白樺美術館で滞在制作を行う (東京吉井画廊協賛)。

1988年、武蔵野美術大学造形学部油絵学科版画コース卒業。 1989年、日本政府(文部省)奨学金を受ける。 1990年、武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻版画コース修士課程修了。

大学院修了後、東京・東麻布にあった益田祐作主宰の版画工房MMGに入社。 描版と刷りの仕事に携わりながら、自身の版画作品の制作・発表を続ける。 2003年に退社し、以後、作家活動に専念する。

2008年、2010年の二度にわたり、益田祐作の斡旋により、 フランスの Atelier Rémy Bucciali で銅版画を制作。 2016年、LOVEART – Summer Artists Residence Project に参加し、 イタリアで滞在制作を行う。

上海と横浜を拠点に生活し、制作活動を続けた。 日本と中国を中心に個展を開催するとともに、 国内外の国際版画展やアートフェアに参加した。

2023年9月、逝去。享年62。