斉藤裕之 テキスト

(1)いりこのこと

とりあえず早起きです。4時きっかりに犬が起こすのです。仕方なく犬の散歩、珈琲、そして新聞。それからおもむろにトランプほどの大きさの絵を描き始めます。ずいぶん長い習慣になりました。この小さな絵は日常のできごとや想いをそこはかとなく綴ったもので「平熱日記」と呼んでいます。平熱だから見えること、描けること。またの名を「Normal Temperature Diary」「ノーテン記」。

日々出会う風景や人々の営みなんかをほぼ毎日描きます。でも私は決して勤勉というわけではありません。そんな私にとってこの早朝のおえかきはなかなか楽チンなやり方です。例えば十分で筆を置くこともあれば3年もほったらかしにしていたものを突然描き始めたり、小さいのでとっかえひっかえも容易です。あまり意気込まず平熱で淡々と。机や棚にはそんな風に描かれた絵がたくさん並んでいます。

なにせノーテン記ですからあまり悩むこともありませんが、たまにネタ切れになる時もあります。そんなとき私が決まって描くモノ。それは「いりこ」。

ある日、故郷から送られてきたいりこを手にした時、やや運命的にこれを描こうと思いたちました。私の生まれは瀬戸内。母のみそ汁はいりこの出汁。いりこはそのままみそ汁の具として食べさせられたな。そんなことも考えながらこの小さな生き物の死骸を描いたのが最初です。それ以来、描くものが見当たらないとき、とりあえずいりこを描くことがとても大事な儀式となりました。

今は年老いて施設にいる母に代って弟が宅配便でいりこを送ってくれます。妻はすっかりいりこ出汁派。出汁を取った後のいりこを我が家の犬がよだれを垂らして見ています。

平熱日記(2014 常陽新聞掲載エッセイ)より

■ 斉藤裕之 略歴

1961 山口県生まれ
1991 G-ART GALLERY(東京)、GALLERY Q(東京)
1992 フランス政府給費制としてパリ国立美術学校に留学
1993 GALERIE BERNANOS(パリ)('94)二人展
1995 東京芸術大学博士課程満期退学
1997 GALERIE SOL(東京)
1999 GALERIE SOL(東京)、セゾンアートプログラム21×21 ギャラリー21+葉
2000 SPICA MUSEUM(東京)
2001 GALERIE SOL(東京)
2010 「平熱日記」展 タカシサイトウギャラリー(茨城)2021年まで毎年
2023 「平熱日記 in 千曲」 art cocoon みらい(長野)