静なる彼方へ 周 豪 2013年8月
十代の頃、レーピン、レヴィータン(どちらもロシアの写実主義画家)の画集を見て、将来絵描きになる夢を抱いた。現在の私の作品からは想像がつかないかも知れないが、レーピン、レヴィータンは今でも私の憧れである。
日本に初めてやって来たのは今から三十数年前、あの頃、日本は上り調子だった。欧米からの見応えのある美術展がたくさんあった。忘れもしないが、最初にモンドリアンのただ画面分割しただけの絵、ジャッドのまるでプラスチックの積み木をただ並べただけの立体を観た時、不可解も通り過ぎて、どこか愚弄されたような気分だった。
あれから三十年、モンドリアンとジャッドの作品から伝わるそのピュアな精神と勇気に、私は感動に震え、礼賛者の一人へと変わった。モンドリアンとジャッドの偉大さを理解するのに三十年掛かった。
何時からか、自作への問いも「何が足りないだろう?」から「何が多いだろう?」に変わっていた。大学の終了制作のあたりから、具象絵画の描写性の魅力に興味を失い、デフォルメの作風の時期を経て、完全な抽象へと変わっていった。その抽象も近年、「絵画性ー色と形」の単純化を図る方向へと切り変わった。色と形、それは絵画を成立たせる要素とは言え、常套的になり過ぎ、審美的疲労に嫌気をさしたからである。
絵画の底へ如何に「絵画性ー色と形」を沈殿させるかを課題に、それまでの、一瞬一瞬を紙に仕留めるような仕事をやめ、坦坦と十数層もの塗り重ねの作業へと辿り着いた。それは画家の仕事と言うより、いわば左官のそれに近いものである。しかし、首尾一貫変哲なき筆致を持続させるのは、案外な難業である。狙っても駄目、狙わなくても駄目、それはまるで困惑の渦にいる禅の修行僧のような心境である。その堪らなさが又堪らないのである。
「魂は単純を好む」、この根拠無き信念は私の中でいつの間にか執念へと変わっていた。追い求めるのは、見応えある単純、綿にくるまれた鉄のような感触。そして、まるでその画面から生えてきたような、色をほとんど感じさせない表面である。そこから立ち現れる精神の匂いを私はよしとした。
単純簡潔さへの追求は、かえって精神性が鋭く問われる不思議さに、私は制作にやり甲斐と手応えを感じた。どうやら作家たるものには工人の勤勉、信徒の敬虔、そして哲人の懐疑が最初からプログラミングされた人種のようである。ほっといても仕事する、それも一生懸命するのである。
私の作品に対して、日本ではよく「大陸的」と言われる。はたまた、中国では「日本的」と言われ、欧米では「東洋的」と言われてきた。いずれにしろ「異邦人の作」なのである。最近、私は日本でも中国でもない、「一故郷無き東洋人」だと開き直った。
最後に贅沢な希求だが、これら変哲無き画面から、少しでも静かな感動を察して頂けたら、この上ない喜びである。